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アデイマントス (アテナイの将軍) : ミニ英和和英辞書
アデイマントス (アテナイの将軍)[ぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 
将軍 : [しょうぐん]
 【名詞】 1. general 2. shogun 
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

アデイマントス (アテナイの将軍) : ウィキペディア日本語版
アデイマントス (アテナイの将軍)[ぐん]
アデイマントス(, ラテン文字転記:: 、生没年不明)は、ペロポネソス戦争末期のアテナイ将軍である。
アデイマントスはレウコロピデスの子である。アデイマントスは紀元前407年にアテナイに離反したアンドロスへの遠征軍の指揮官(ストラテゴス)の一人になり、アンドロスを破った〔クセノポン, I. 4. 21-22〕。翌紀元前406年アルギヌサイの海戦の後、アデイマントスは再び将軍の一人に任じられた〔ibid, I. 7. 1〕。しかし、アデイマントスらの率いるアテナイ艦隊は紀元前405年アイゴスポタモイの海戦リュサンドロス率いるスパルタ艦隊の奇襲を受け、決定的な敗北を喫した。この時アデイマントスは捕虜になったが、他の捕虜が皆殺しにされた中、かつてアテナイで捕虜の右腕を切り落とす提議がなされた時にただ一人反対したため、捕虜のうち彼一人だけが助命された〔ibid, II. 1. 30-32〕。しかし、この措置はアテナイ人にアデイマントスに対する疑いを抱かせ、アイゴスポタモイの敗北はアデイマントスとテュデウスがリュサンドロスから賄賂を受け取ったからであるとの嫌疑を受け、同じくアイゴスポタモイの海戦に参加した将軍であったが、敗色が濃いと見るや逃亡したコノンによって売国の廉で告発された(しかし、裁判の結果は不明である)〔パウサニアス, X. 9. 11〕〔デモステネス, 「使節職務不履行について」, 191〕。このコノンによる告発は敗戦の責任をアデイマントスに押し付けるためのものであったと考えられている〔澤田, p.185〕。その後アデイマントスがどうなったのかは不明である。
== 註 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アデイマントス (アテナイの将軍)」の詳細全文を読む




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